「外発的動機づけ」と「内発的モティベーション」から、やる気を考える

外発的動機づけ と 内発的モティベーション

外発的と内発的の違い  ~ 外からのご褒美か、内側からのご褒美か ~

モティベーション=「動機づけ」という言葉

外発的動機づけの理論  ~ ヒューマン・タッチの報酬もある ~

古典的条件づけ外発的アプローチ  ~ ワトソンの実験 ~

オペラント条件づけ(強化理論)  ~ スキナー・ボックスの実験 ~

随伴性  ~ オペラント条件づけと古典的条件づけの決定的な違い ~

ABC分析  ~ がんばった結果、なにがもたらされるのか ~

スキナーの考え方  ~ オペラント条件づけの基本の基本は、無視できない ~

オペラント条件づけ(強化理論)の例  ~ 正の強化・罰・消去・負の強化 ~

外発的報酬の効果  ~ まわりからのご褒美も、効果はある ~

外発的動機づけのマイナス面を考える  ~ 過度に頼るのはよくない ~

外発的動機づけのマイナス面(1)  ~ 罰になる ~

外発的動機づけのマイナス面(2)  ~ 人間関係を破壊する ~

外発的動機づけのマイナス面(3)  ~ 理由を無視する ~

外発的動機づけのマイナス面(4)  ~ 冒険に水をさす ~

外発的動機づけのマイナス面(5)  ~ 興味を損なう ~

外発的動機づけのマイナス面(6)  ~ 使い出したら止められない ~

外発的動機づけのマイナス面(7)  ~ 手抜きを選ばせる ~

内発的モティベーションのすすめ(1)  ~ 達成感とフロー経験 ~

内発的モティベーションのすすめ(2)  ~ 有能感と自己決定、成長感 ~

アンダーマイニング現象の意味(1)  ~ デシの実験 ~

アンダーマイニング現象の意味(2)  ~ レッパーの実験 ~

アンダーマイニング現象の曲解  ~ おもしろいことへの上司の反応 ~

アンダーマイニング現象の再考
  ~ おもしろいことにはご褒美をあげるな、ということではない ~

デシの認知的評価理論  ~ 3つのポイント ~

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外発的動機づけ と 内発的モティベーション

ふつふつと燃えるものがあって、熱中している姿は、美しい。そういうものに惹かれる人は多いと思います。

模型づくりに熱中する子どもと同じように、研究開発の現場で、時間を忘れて実験に没頭する人もいるのではないでしょうか。 ご褒美などなくても、やっているプロセスの楽しみや、できあがったときの達成感、そういう経験をくりかえすことから生まれる成長感などは、貴重です。

私たちがここであつかうモティベーションは、仕事の場でのワーク・モティベーションが中心となります。

仕事をする1つの大きな理由は、生活の糧の原資となる報酬を得ることです。

外発的報酬だけでは物足りないという人も、給与がないと困ります。

昇進・昇給がうれしくないという人は、あまりいないでしょう。(意外と多いかもしれませんが)

達成感があれば、褒めてくれなくても平気というすばらしい人でも、尊敬する人から「よくやった」と言われると励みになったりします。

ここでは、外発的動機づけを考えるための理論的視点と、外発的動機づけのみに頼ることの危険について、見ていきたいと思います。

外発的と内発的の違い  ~ 外からのご褒美か、内側からのご褒美か ~

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人ががんばる理由の中には、ご褒美をめざしてがんばるという側面が、どこかにあります。

昇給、ボーナスなどの金銭的報酬に限らず、昇進、表彰、人からの賞賛や承認、メンバーからの受容、リーダーによる配慮なども、広い意味での報酬(reward)に含まれます。

これらはすべて、働く個人に外から、ほかの人によって提供される報酬なので、外発的報酬(extrinsic reward)とよびます。

それを目当てに、人ががんばる姿を、外発的動機づけ、あるいは外発的モティベーション(extrinsic motivation)とよびます。

これに対して、達成感、成長感、有能感、仕事それ自体の楽しみ、自己実現などは、外から受け取る報酬ではないので、内発的報酬(intrinsic reward)とよびます。

これによって、人が突き動かされる状態を、内発的動機づけ、あるいは内発的モティベーション(intrinsic motivation)とよびます。

「どのようなときにがんばりましたか」というような問いで、やる気の持論を聞いたとき、

  • がんばった分、給料が増えたから
  • うまくいったときに、上司が褒めてくれたので

というような言葉が聞かれたら、それが外発的モティベーションであり、

  • 仕上がったときの気持ちがなんともいえないから
  • 誰よりもうまくできることで、好きなことだから

というような回答があれば、その部分は、内発的モティベーションであるといえます。

モティベーション=「動機づけ」という言葉

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動機づけという言葉は、なにか力の出る素となるものを外からつけるような響きがあります。

動機は、内から湧き出るものなのか、外からつけられるものなのか。

おそらく両方ではないでしょうか。

「動機をつける」というのは、なんか変ですが、きっと思い当たる節はあると思います。

たとえば、おなかが減っている若手社員に、「7時までにこの作業を終えたら、夕食をおごるからがんばって」というときには、たしかに、外から動機をつけているみたいなところがあります。

なので、あえて外発的「動機づけと表記するのも、もっともではあります。

逆に、達成感や自己実現は、誰かがその人に外から与えられるものではなく、本人が内側から感じるものなので、「動機づけ」という言葉はなじみません。

内発的意欲とするか、カタカナのまま、内発的モティベーションとよぶのがいいでしょう。文字どおり、内から湧き出るものです。

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外発的動機づけの理論  ~ ヒューマン・タッチの報酬もある ~

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私たちが、趣味やスポーツでなく、仕事をするのは、誰だって(大富豪を除けば)、どこかで生計のためという部分があります。

会社で働く理由の1つとして、そのウェイトは大きいので、ここでは、外発的動機づけにかかわる理論の系譜を鳥瞰してみましょう。

あわせて、大切なことは、外発的報酬の範囲は広く、給与、ボーナス、昇給など金銭的報酬だけではない、ということにも注意をしておきたいところです。


人は、パンのみで生きるのではありません。

そして、人は一人で生きているわけではありません。


では、ほかにどのような外発的報酬があるでしょうか。

その中には、暖かいヒューマン・タッチのものも、あるのです。

たとえば、お客様に心から喜んでもらう、仲間に受け入れられる、敬意をおく先輩に励まされる、尊敬する上司に褒められる。 これらもまた、外発的報酬に含まれます。

スポーツや学問の世界でも、高い成果の達成感は内発的報酬ですが、オリンピックのメダルやノーベル賞は、外発的報酬です。 ただ、とても幸いなことに、「達成の証」としての報酬となります。

金銭的な報酬でも、達成の承認として、それが与えられていることを本人が自覚しているなら外発的ですが、それに振り回されることなく自己調整は可能です。

しかし、それは最近の議論ですので、まずは、この種の研究のルーツにちょっとだけ遡(さかのぼ)ってみましょう。

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古典的条件づけ外発的アプローチ  ~ ワトソンの実験 ~

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古典的条件づけ外発的アプローチの源泉は古く、1913年に出たジョン・B・ワトソン(John B. Watson)の論文にまでさかのぼります。

私たちの心の中までわざわざのぞきにいかなくても、刺激と反応(stimulus-response S-Rと略記)で、人やそのほかの有機体(生きている生物)の行動を説明できる。

ワトソンは、このような考えを、「行動主義宣言(マニフェスト)」ともとれるような古典的論文で示しました。


それ以前の議論では、有機体の行動の説明には、どこかで本能の概念が想定されていました。 それに対して、ワトソンは、本能の概念を捨てて、習慣の形成の問題として行動パターンを説明しました。

彼の理解では、習慣とは、学習された反応(learned response)にほかなりません。

いくつか有名なエピソードがあります。

その1つとして、ワトソンは、アルバートという名の生後11ヶ月の被験者を観察しました。

この乳児は、なじみのない自然の刺激に対して平気でした。

もし本能というものがあるなら、きっと怖がりそうなはずのものを目にしてもです。

アルバートは、サル、イヌ、白ネズミ、ウサギ、コットン、ウール、髪のある仮面、髪のない仮面、燃える新聞 のいずれにも、まったく恐怖を示さなかったと報告されています。

燃える新聞を怖がらないなどというのは、進化心理学を信じる人にとっては驚きかもしれません。

それは、火を怖がるのは、本能(ハードワイアード)で、それがない私たちの祖先は、焼かれて死んでしまっている可能性が高いと考えるためです。 しかし、アルバートは、燃える新聞も怖がりませんでした。

このことだけでも、有機体一般には、そして人間にも、生来、本能的な恐怖心というのがあるという考えに、反論するのに十分です。 少なくともそれを疑問視するきっかけとはなるでしょう。

このことを踏まえて、ワトソンがアルバートに対しておこなったことは、パブロフがイヌでおこなったような条件づけにあたるものです。

おなじみのパブロフのイヌは、次のようなものです。

  • イヌにとってベルの音と食べ物は、本来なんのつながりもありません。
  • しかし、いつも餌をあげるときにベルを鳴らしていると、ベルの音を聞くだけで、唾液を出してしまうようになりました。
  • これは、ベルの音と食べ物との間につながりができたということです。
  • なので、ベルが鳴るという条件に反応して、唾液が出てしまうのです。

このような有名な古典的条件づけの話を、聞いたことがあるのではないでしょうか。

まず手はじめに、実験者のワトソンは、被験者のアルバートが怖がるものがなにかあるかと探しました。

その結果、頭上あるいは頭の後ろ側で、金槌で金属音を3回ほど鳴らすと、おちついた状態だったアルバートが泣き出すことがわかりました。

そこで、アルバートがまったく怖がらなかった白ネズミ(自然の中立的な刺激)を見せ、条件づけなくとも、自然に怖がって泣いてしまうほどの大きな音(自然の嫌悪的な刺激)を同時に聞かせると、やがてアルバートは、白ネズミを見るだけで泣き出すようになりました。

これをワトソン流の行動主義の言葉でいえば、恐怖で泣くという情緒的反応が、体系的な環境の刺激の操作(systematic manipulation of environmental stimuli)を通じて条件づけられた(学習された)ということになります。

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オペラント条件づけ(強化理論)  ~ スキナー・ボックスの実験 ~

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ワトソン行動主義を表明してから、ちょうど四半世紀がすぎた1938年に、バーハス・F・スキナー(Burhus F. Skinner)は、古典的条件づけとは異なる、スキナー流の行動主義を提唱しました。

それは、古典的条件づけと対比して、オペラント条件づけ、もしくは強化理論として知られるようになりました。

オペラント条件づけの人間に対する応用は、行動変容(behavior modificationB.Modと略記)あるいは、応用行動分析(applied behavior analysis)とよばれました。

経営学組織行動論の中でも、アメリカ経営学会の会長を経験したフレッド・ルーサンス(Fred Luthans)によって、この方法が組織行動変容(organizational behavior modificationO.B.Modと略記)の名で導入されました。

オペラント条件づけは、経営学組織行動論の中で、そこそこ古い歴史があります。

最初に、『Organizational Behavior組織行動変容)』というタイトルの書籍が出てからは、もう30年にもなります。


ハーバード大学スキナーの研究室を訪ねた人たちがそろって話題にしたのは、スキナー・ボックスともよばれる実験装置と、その中で実験のために飼われているハトなどのおびただしい数の動物のことです。

お腹をすかしたハトやサルは、スキナー・ボックスという環境の中で試行錯誤して動く間に、レバーを押せば餌が出てくることを学習していきました。

心理学の講義などで、スキナー・ボックスの中で「学習をした」動物の映像を見たことのある方もいるかもしれません。 いったん学習すると、いかに動物たちが一生懸命に「がんばって」レバーを動かすのかということについて。

そのような映像を見れば、そのスピードや回数に驚くかもしれません。

外発的報酬のパワーを知るには、十分に説得力のあるがんばり屋さんの生き物の姿が、そこにあります。

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随伴性  ~ オペラント条件づけと古典的条件づけの決定的な違い ~

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新たなオペラント条件づけと、かつての古典的条件づけとの決定的な違いは、どこにあるのでしょうか。

パブロフのイヌも、ワトソンのアルバートも、どちらも自ら環境への働きかけというものがありません。 それに対して、スキナーの実験箱の世界では、有機体の側から環境への積極的な働きかけがあります。

スキナーのハトやサルは、環境へ自ら働きかけた結果、餌という報酬を受け取ったり、電気ショックなどのマイナスの報酬(罰)を回避したりします。 環境への能動的な関わりを示す言葉こそが、「オペラント(働きかけ)」ということになります。

パブロフの実験では、強化因子(餌)が刺激(ベルの音)とペアにされていますが、スキナー・ボックスでは、そこにどのような結果がもたらされるかは、反応に依存(contingent upon response)します。

この行動と結果との関係を、(硬い言葉ですが)随伴性(contingency)」とよびます。

結果の随伴性、もしくは随伴的結果というのが、オペラント条件づけのキーワードになります。

がんばった結果、なにがもたらされるのか。反応しただけ、環境の側が報いてくれるから、行動を起こすというわけです。

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ABC分析  ~ がんばった結果、なにがもたらされるのか ~

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結果の随伴性(反応しただけ、環境の側が報いてくれるから、行動を起こす)については、スキナー・ボックスの中の動物に限ったことではありません。

人間にも、幸か不幸か、おおいにあてはまります。子どものときの例がわかりやすいかもしれません。

お手伝いをしたら、お小遣いをもらえるという経験をくりかえししたとしましょう。 お手伝いという行動に、お小遣いという結果(報酬)随伴していると、子どもは学習することになります。

いったん結果の随伴性を学習すると、

  • 手伝ってくれないかというお母さんの声が聞こえると(状況の中で先行する合図=先行要因 antecedent cue あるいは antecedentsと略記)
  • 掃除する、買い物に出るなどのお手伝いの行動をおこし
    (behaviorと略記)
  • お小遣いやお駄賃をもらったら、それが随伴する結果となる
    (consequencesと略記)

という流れができます。

このような3要素で学習と動機づけを分析することをABC分析、もしくは機能分析とよびます。

この結果のタイプには、このお小遣いのようにプラスの結果(報酬、ニンジン)のこともあれば、勉強しないと怒られる、おやつがなくなるというようなマイナスの結果(罰、ムチ)のこともあります。

プラスの結果を得られるので、特定の行動が強化されれば、正の強化(positive reinforcement)といいます。

電気ショックのようなマイナスの結果は、逃避行動を起こせば回避できるので、ショックがあればすぐに逃げてしまう。(親に怒られそうになったら、外に遊びに出る)こちらは反対に、負の強化(negative reinforcement)ということになります。

ほしいものを得るためにがんばることが正の強化で、イヤな目にあわないためにがんばることが負の強化です。

さらに、消去(extinction)というメカニズムもあります。

いつものようにお手伝いをしているのに、もう中学生にもなったのだから、手伝うのは当たり前だと思ったお母さんが、お小遣いをあげるのをやめたとしましょう。

その結果、子どもがお手伝いをしないようになってしまったら、それを消去とよびます。

経営学組織行動変容(O.B.Mod)という技法に系譜が残されているとおり、オペラント条件づけ、結果の随伴性ABC分析は、子どもだけにあてはまるわけでなく、会社で一生懸命がんばる大人の説明にも使えます。

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スキナーの考え方  ~ オペラント条件づけの基本の基本は、無視できない ~

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このようなスキナーの考え方の背後には、エドワード・L・ソーンダイク(Edward L. Thorndike)の有名な「効果の法則(law of effect)」があり、それが理論的支柱となっています。

おかれた状況と、そこで経験する反応との間に関係があり、

その関係を修正することができるとき、

ある反応をすることで、満足のいく結果をもたらすなら、その関係の強度は増大し、 逆に、反応した結果、不快な状態がもたらされるなら、強度は低下していく

というものです。

現在は、期待理論目標設定理論のように、”先行要因と行動と結果だけ”を見るのでなく、”心の状態(認知や知識、できるという気持ち)”などを重視するようになっています。

なので、スキナーのアプローチだけでは、少し物足りなく感じられるかもしれません。 しかし、実は、このだけではというところが、ポイントだったりします。

ご褒美をめざして、また、イヤなことを避けるためだけに、大の大人が働いているのなら、少し情けない気もします。 それだけではない - おそらく、仕事に打ち込む充実感や達成感、自己実現もあると思います。

かといって、人は、いいことがあったらがんばるし、イヤなことを避けられるのなら、そのためにもがんばります。 これまでやってきたことでも罰せられるのなら、その行動をやめるでしょう。

そういうオペラント条件づけの基本の基本は、無視することはできません。

古い理論なのでまったくあてはまらない、ということはありませんが、これだけで説明しようとしたら、見落としがあるということです。

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オペラント条件づけ(強化理論)の例  ~ 正の強化・罰・消去・負の強化 ~

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オペラント条件づけ強化理論)の例として、正の強化・罰・消去・負の強化 の4つを記載しておきます。

表4-1: 強化理論(正の強化)の例

行動 結果 効果 名称
なにらかの言動 望むものを獲得できる 行動の増進 正の強化
レポート作成がうまくいかず、上司に相談する 上司が必要な情報を与えてくれる 次に情報が必要になったときもその上司に相談する 正の強化

表4-2: 強化理論(罰)の例

行動 結果 効果 名称
なにらかの言動 望まないものを与えられる 行動の減少
レポート作成がうまくいかず、上司に相談する 上司が「私一人に仕事を全部押しつけようというのかね。自分で情報を集めなさい。」と答える 次に情報が必要になったとき、その上司に相談する前に躊躇する

表4-3: 強化理論(消去)の例

行動 結果 効果 名称
なにらかの言動 中立的な反応を得る、あるいは何の反応もない 当初行動は増進するが、時間とともに次第に減少する 消去
レポート作成がうまくいかず、上司に相談する 上司が「質問に答える時間が今はない。」と答える 情報を求めて、その後も何度か上司に相談するが、何の反応も得られなければ相談するのをやめる 消去

表4-4: 強化理論(負の強化)の例

行動 結果 効果 名称
なにらかの言動 望まないものを避けることができる 行動の増進 負の強化
レポート作成がうまくいかず、上司に相談する 上司が「そのレポートは似たようなものがあるから、やらなくてもよい。」と答える 次にあたら得られた仕事がうまくいかなかった場合、あるいはその有用性に疑問が生じた場合は上司に相談する 負の強化

出典:『経営革命大全』 ジョセフ・H・ボイエット、ジミー・T・ボイエット(大川修二訳、金井壽宏監訳)

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外発的報酬の効果  ~ まわりからのご褒美も、効果はある ~

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昨今の成果主義をめぐる議論も、”より多くの成果により多くの報酬を”というような、単純なものでは、けっしてありませんが、背後には(スキナー流の言葉でいえば、)行動が結果に随伴するための 試みでもあったといえます。

このスキナーの考えは、行動変容や治療面での行動療法などには、明白に生き残っていて、強力な考え方として、脈々と君臨しています。

さきに、子どもの手伝いの例をあげましたが、ビジネスの世界でも作用している強化理論の例示を経営書から引用しておきます。

持論は、自分のやる気を、さらにまわりの人たちのやる気を説明するのが理想だ といってきました。

外発的モティベーション論が、自分にも、まわりの人たちにもあてはまるなら、モティベーションの持論をつくる1つの素材となります。

ただ、持論をもつ目的が、”やる気の自己調整である”という観点からは、パラドクスでもあります。 なぜなら、自己調整とは外発的なものにふりまわされないことだからです。

ただ、ワーク・モティベーションは、会社の中でのやる気というものを考えます。 これだけでは足りないということを認識しながらも、給料や昇進などの外発的な報酬の効果を、無視して通るわけにはいかないのです。

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外発的動機づけのマイナス面を考える  ~ 過度に頼るのはよくない ~

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内発的意欲外発的動機づけは、後者(外発的動機づけ)だけを悪者に仕立てて、すますべき話題ではありません。 出番は、両方にあります。

金井先生自身も、「どこかで、外から駆り立てられるよりも、内から湧き出るものを大切にしたい」という気持ちをもつ といっています。 大切にしたいのは、たとえば、次のような瞬間です。

  • やっている仕事そのものが、興味深く意味が感じられるとき
  • 仕上がったときに達成感を感じられるとき
  • そのような仕事をくりかえしやっているおかげで、成長感がしみじみともてるとき
  • 仕事を通じて、大人になっても一皮むけたと実感できる経験があるとき

これらは、大切なモティベーターです。

他面で、勤め先は、生計の糧を得る場という側面があるから、外発的動機づけで行動するというのも当然です。

なので、それを悪し様にばかりいうのも、いただけません。

とはいうものの、外発的動機づけ過度に依存してしまうと、弊害が出てきます。 その点を、アメリカの評論家アルフィー・コーン(Alfie Kohn)が批判をしています。

その諸説をまるごと鵜呑みにすることは、いき過ぎになりますが、そこからいくつかの視点を得ることはできます。

なので、議論の材料として、そして、みなさんの持論を、この観点からチェックするために、紹介しておきます。

コーンは、外発的報酬が悪影響をもたらす理由として、次の5点(1~5)に注目しました。 さらに、この問題の先陣を切ったデシの主張も、2点(6と7)加えておきます。

  • 報酬は、罰になる(Rewards punish)
  • 報酬は、人間関係を破壊する(Rewards rupture relationships)
  • 報酬は、理由を無視する(Rewards ignore reasons)
  • 報酬は、冒険に水をさす(Rewards discourage risk-taking)
  • 報酬は、興味を損なう(Rewards kill interest)
  • 報酬は、使い出したら簡単に止められない
  • 報酬は、それを得るための手抜き(最短ルート)を選ばせる


※報酬、強要、脅し、監視、競争、批判的評価によって、人を統制するように動機づけることに、反対の烽火をあげた元祖は、デシでした

外発的動機づけのマイナス面(1)  ~ 罰になる ~

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(1)報酬が罰になってしまう(Rewards punish)というマイナス面

ほとんどの人は、罰はよくないが、褒めたり、褒美をあげたりすることならいいだろう といいます。 コーンは、報酬と罰とは、同じコインの表裏にすぎない と主張しています。

”報酬がその場にあることが、罰となる”という言葉は、英語では、たった2語Rewards punishという言葉になります。 彼の著書のタイトルは、『Punished by Rewards(報酬によって罰せられて)』となっています。

これには、次の2つの意味があります。

1つは、報酬も罰と同じく、人の行動をコントロールするという点です。 「これをすれば、あれをあげるよ」という行動は、すべて人間操縦という側面をもっています。

「肩をもんでくれたら、お小遣いをあげるよ」といういいことへのご褒美を、「これ以上ちょろちょろ走り回って仕事の邪魔をすると、怒るよ」という罰の脅しとがあったとします。

たしかに、怒るよりは褒める方が気持ちはいい。それでも、両方とも、子どもの行動をコントロールしようとする点では、同じです。

もう1つの意味は、報酬を通じての働きかけは、できたら自分も報酬にありつきたいと思っていたのに、それをもらえない人を生み出すということです。このことは、実際上、罰と変わらない効果があります。

ある事柄について、褒められる生徒がいるということは、ほかに褒められない生徒がいるということです。 アメやニンジンをぶらさげることもできれば、「あげないよ」ということもできます。

賞賛や褒美がお預けになることは、とくに、もらえるかもしれないと思ったのにそれがなくなったり、ほかにはもらっている人がいるのに、自分がもらえなかったら、それは罰の一種になるでしょう。

経営者も教師も親も、従業員、生徒、子どもがいうことを聞かなかったら、この手を使うことが多いでしょう。 「これをすれば、あれをあげるよ」と言われるのは、そのまま紙一重で、「これをしないと、あれはあげないから」と言われるのと同じ状況を作り出します。


このように、報酬そのものがコントロールにつながり、外からの報酬のせいで、人によっては自由がなくなり、ほかの人のいうままになってしまう。 自由を失うのは、ふつうに考えると、そのこと自体が罰です。

外発的に人を動機づける世界では、褒美をご破算にする という巧妙なやり方まであります。 そのために、報酬が結局は罰になることもあります。

このことを、コーンはRewards punishとたった2語のフレーズで表したのでした。

冷静に考えるとたくさん反論もあるでしょうが、初めてこのフレーズを耳にしたとき、たいていの人は驚きます。 たしかに、そういう面もあると、うなずきながら。

とくに、愛する人や大切に思う人には、この2語のフレーズでは(「これをすれば、あれをあげる(あげない)」という姿勢では)接したくないと思うのではないでしょうか。

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外発的動機づけのマイナス面(2)  ~ 人間関係を破壊する ~

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(2)報酬が人間関係を壊してしまう(Rewards rupture relationships)というマイナス面

デミングは、個人ベースの誘因プログラムには、働く人たちの協働、協力を低下させるマイナス面があることを指摘してきました。

成果主義も、導入・運営によっては、個人の力を高めるつもりが、集団の力や団結、集団内での自然なスキルの伝承や相互学習を阻害することがあります。

報酬で、勝ち組と負け組が出てくるなら、人間関係はどうしてもギスギスしたものになるでしょう。

競争が不安を生み出す。勝つ見込みがないと思う人は努力しなくなる。

競争の結果が努力でなく、運や能力など(自分でコントロールできない要因)に帰属しがちです。

コーンは、このような事実を報告する研究に、注目しました。

個人にインセンティブを与えるからこうなる。

ならば、集団にインセンティブを と考えたとしましょう。

たとえば、教師が「みんながいい子にしていたら、おやつにしましょう」と約束します。 でも、残念ながら、わんぱくな子どもたちが騒いで、結局「みんながいい子ではなかったので、おやつは中止」と宣言することになってしまいました。

このとき、行儀をよくしていた子どもたちは、いい子にしていなかった(元気で)わんぱくな子どもに、少しは(「また、あいつらのせいだ」と)敵対心をもってもおかしくありません。

ここで、コーンがもう1つ警告する問題は、(1)でも述べたコントロールしたいという先生の側の発想です。

ほんとうに子どもたちの幸せを願って「おやつにしよう」と言っているのか、それとも先生の都合で、「いうことをきかせよう」「自分が教えやすい環境をつくろう」と思ってそう言っているのか では、たしかに大違いです。

往々にして後者のケースが多く見られ、教室だけでなく、職場でもそういうことが起こることがあります。

報酬には人をコントロールする面がある と気づくのは、コントロールされる側です。

同時に、報酬が協力関係をギスギスさせる場合もあります。 このことにより鋭敏に気づくのも、先生や管理職の側ではなく、コントロールされる側です。

さらに困ったことに、先生や管理職の中には、コントロールしたがる人が意外と多いものです。 人をコントロールすること自体が、教室や職場での自分の役割である と思っているような人もいます。

もちろん、競争がいい緊張感を生み出し、ゲーム的状況をいい意味で創り出し、やる気を高めることもあるでしょう。

その場合にも、まず大きな信頼があり、ちょっとやそっとのことで人間関係が壊れないという状態になっていなければ、いつまでも続く競争に、やがて疲弊していくことになるでしょう。

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外発的動機づけのマイナス面(3)  ~ 理由を無視する ~

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(3)報酬に頼ると、行動の理由を無視してしまう(Rewards ignore reasons)というマイナス面

お手伝いすれば褒美をあげる、しないと褒美なし、場合によっては罰を与える。

このときに問題なのは、問題となる行動(お手伝いしないこと)の原因の追究が、おろそかになることです。

修正したい行動のそもそもの原因を追究するかわりに、正(や負)の報酬だけが、目の前にニンジン(やムチ)のように提示されてしまいます。

そうすると、修正したい行動が生まれる原因を絶つことができなくなります。

同じように、ビジネスの場面でも、成果をあげた人に、より多く報いるというのは、けっして悪いことではありません。 でも、成果をうまくあげられなかったときに、いちばん大切なのは、報酬をあげないこと、罰をもたらすこと以上に、次はどうやったらよくなるかを前向きに議論することのはずです。

報酬で人の行動をコントロールしようとする親や上司が、文字どおり報酬の管理者となってしまって、共同の問題解決、議論の促進者でなくなってしまったら、それは悲しいことです。


遅刻する人に、ルーサンス流の組織行動変容で臨む(「遅刻したら罰する」「間に合ったら褒める」ということだけで、行動を変容させようとする)場面を想像してみましょう。

「遅刻したら罰する」「間に合ったら褒める」ということだけで、行動を変容させようとするのと、遅刻が起こる理由、原因を探ることによって根本から問題を解決するのと、どちらがよいでしょうか。 答えは自明だと思います。

しかしながら、ニンジンをぶら下げてムチをちらつかせて、安易に行動だけを表面的に変える方が楽なので、ついそうしてしまうのです。


コーンは、読者からの手紙で、「褒美や罰による行動修正を批判するのはいいが、まもなく3歳になる娘が寝る時間なのに、何度も何度もベッドルームから出てくるときに、どうしたらいいのか」と質問されたそうです。

そのときに、選択肢としてあげられた会話例は、以下のようなものになります。

  • 「3つ数えるうちにベッドに戻らないと、テレビは1週間禁止よ」
  • 「今夜から3晩、ちょろちょろせずにすぐに寝たら、ほしがっていた縫いぐるみのクマを買ってあげるわ」
  • 「なぜベッドから何度も起きてくるのか、理由を探さなくっちゃね」

子ども相手に、(3.)の案をとる母は少なく、たいていスキナー行動主義者のように、(1.)か(2.)で子どもの行動をコントロール、もしくは修正・変容させようとします。

原因や理由を見ずに、Rewards punish の世界を実現してしまう。 つべこべ言わず、言うとおりにさせたい。議論する間などないと思っている節があります。

しかし、ほんとうに子どもを変えようとしたら、原因をしっかり探しだして、そこから変えていくことです。 子どもがすぐにベッドでおとなしく寝ないのには、いろいろな理由がありえます。たとえば、

  • 昼寝を長くしていて、時間も早いので眠くない
  • 両親に甘えたり、お話をしたりできる時間が夜しかない
  • 興奮するような楽しいことがあって、それが覚めやらない
  • ベッドの下にお化けがいると思っている(眠るまでベッドルームに一緒にいてほしいと思っている)
  • 自分には眠れといった両親が、居間で楽しそうに話し合っているのが気になる

報酬に頼ってしまうと、理由を探すために、子どもを観察したり、話し合ったり、ほかの親たちと意見交換したりすることが、ないがしろにされてしまいます。

このように原因を並べると、実は行動を変えるべきは親の方なのに、子どもに賞罰を加えていることだってありえるのです。 (職場でも、実は行動を変えるべきは管理者の方なのに、部下に賞罰を加えていることが、多いのではないでしょうか)

親の方が気をつけて、子どもの昼寝の時間を少し減らす、昼間からもっと子どもの相手をする(そのために、夜遅くなる前に、子どもが起きている間に早く帰る)、眠る前にやたら興奮させないようにする、添い寝してあげる、眠りにつくまで子どもが起きないように静かに読書する。

自分の行動のことは棚にあげ、子ども(部下)をコントロールしたがる親(管理職)が、賞罰に頼ることのマイナス面について考えることを放棄してはいけません

相手が子どもでなく、成熟した大人の部下である場合には、なおいっそうのこと、行動の理由について、話をするのがよいでしょう。

たとえば、成果主義を導入した場合でも、成果と報酬を結びつけるだけでなく、成果があがらなかったときに、その理由を部下たちとしっかり話し合う探ることの方が、いっそう大事なはずです。

成果そのものだけでなく、成果に至る行動を話すときには、部下の行動だけでなく、自分の行動もどう変えるべきか問うような管理職でないと、話になりません。

会議はイヤだという人も多いですが、成果に至るプロセスについて、しっかり議論がされているのなら、成果主義の下では、会議の場はより大事になってきます。

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外発的動機づけのマイナス面(4)  ~ 冒険に水をさす ~

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(4)報酬が冒険(リスクテイク)を阻害する(Rewards discourage risk-taking)というマイナス面

「これをすれば、あれをあげるから」という人の動かし方は、基本的には、報酬を管理する側の”言うとおりにやれ”、という世界になります。

なので、創造、工夫、冒険、危険負担、革新、広い視野、総合 という美徳とは、基本的には相いれない といえるでしょう。

”言うとおりにやれ”というメッセージを読みとり、どこかで”行動が操作されている”と思いながら、伸びやかに振る舞うことは、難しいことです。

コントロールする側が思いもかけなかったイノベーションが起こせたとしても、コントロール狂は、創造より秩序を好むので、その場で歓迎されるとは限りません。

言われたことを超えて工夫することが、「これをすれば」という、お決まりの行動の範疇に入っていなかったら、コントロールする側の機嫌を損ねるかもしれません。

勝てば官軍で、結局、上司が望む以上に創造的な解決がもちろん褒められることもあるでしょう。

コーンの懸念は、報酬によって人が動くときには、そのこと自体が楽しくてがんばっているときに比べて、視野が狭くなるという点にあります。 視野を狭くさせてしまうことのマイナス面は、大きい。

視野が狭くなってしまったときに働く、基本原理を要約してしまうと、以下のようになります。

when we are working for a reward,

 we do exactly what is neccessary to get it and no more.


報酬目当てに働くときは、報酬を得るのにちょうど必要なだけの仕事をやり、

それ以上はやらない。

評価システムができあがると、人は評価される項目の範囲で動きをとります。

また、往々にして最終成果の数字など、量的なものが中心にもなりがちです。(美的、総合的な判断は、指標化、定量化しにくい)

モティベーション論をコントロール・システムの設計の問題(『Information and Control in Organizations』)に応用したエドワード・E・ローラー三世(Edward E. Lawler, Ⅲ)は、人は測定される項目だけに目を向けるようになる点を警告しました。

「測定できないものは、コントロールできない」というのは至言ですが、同時に、測定されることがなければ、大事なことでも軽視されるし、測定が可能なことでも、褒美の対象にならないことは無視されます。

心理学者ジョン・コンドリー(John Condry)は、報酬とは「探求の敵(enemies of exploration)」といってのけました。

創造性の心理学で名高いテレサ・アマパイル(Teresa Amabile)は、迷路から抜け出るもっとも安全で確実で速い道は、踏みならされた非創造的な道であるといっています。

スキナー・ボックスで餌に向かうネズミを思い浮かべてもらえれば、想像できると思います。 であれば、スキナー強化理論、もしくはオペラント条件づけのストレートな応用として、創造や革新に対して報酬を出すというやり方を思いつくかもしれません。

しかし、実際に、スキナー流の実験をハトやヒトにおこなってみると、独創に対して報酬を出すことで、独創が生まれるわけではないことがわかりました。

ひとたび報酬を得るルートがわかったら、アマパイルの示唆した思考実験で想像したとおり、過去の成功と同じパターンをくりかえすことになるのです。

独自の心理療法で知られるポール・ワツラウィック(Paul Watzlawick)は、「自発的に動け(Be spontaneous)」という矛盾をかつて指摘したことがあります。

大人が子どもに、「自発的に勉強しなさい」と指示したとしましょう。 それを聞いて勉強しだしたら、本来の意味での自発的に勉強していることにはなりません。

同じように、会社の研究開発部門で、研究室長がスタッフに、「自発的に工夫して、どんどん実験しなさい」と命令したら、これも同じ矛盾を生み出します。 その言葉で実験に着手したら、自発的であれ という部分には、背くことになります。

ここに自分が主人公という自己調整とは、なじまない罠があります。 さらに、「自発的に創造的成果を生みなさい。そうしたら、ご褒美をあげるから。」などと言った日には、ほんとうに困った状態となるでしょう。

Be spontaneous という指示が、随伴的な報酬と結びついたらどうなるか。 「言うとおり自発的にしてくれたら、外発的報酬をあげる」というのは、そういう意味で、困惑させる指示となってしまう可能性があるのです。

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外発的動機づけのマイナス面(5)  ~ 興味を損なう ~

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(5)報酬が目当てになり、やっていることへの興味を損なう(Rewards kill interest)というマイナス面

報酬が効果的でなくなる5つ目の理由は、アンダーマイニング現象として、よく知られていることになります。

それは、報酬のせいで、逆にやっていることへの興味を損なうということです。

もう少し正確にいうと、外発的報酬は、やっていること自体がおもしろい、興味深いと思ってがんばる気持ち内発的モティベーション)を阻害するということになります。

別にご褒美をもらわなくても、楽しくて没頭できる事象に、お金など外発的報酬をあげるのは、有害となります。

「楽しくてやっているのでなく、お金のためにやっているのだ」というように、自分の認知が変わってしまうからです。

コーンの紹介する有名なジョークを、聞いたことがあるでしょうか。


悪ロをやめさせた老人の話

ある日、学校帰りにいつものように、バカだのキタナイだの how stupid and ugly … という子どもたちの悪態を聞いたあと、老人はある計略を思いつきました。

次の月曜に、彼は庭に出てきて、悪童たちに、「明日もまた悪態をついた子には、1ドルずつあげるよ。」と言いました。

子どもたちはビックリし、また喜んで、火曜には、いつもより早く来て、悪態のかぎりを尽くしました。

老人は悠々と出てきて、約束どおり、みんなにお金を与えて、「明日も同じように来てくれれば、25セントずつあげるよ。」と言いました。

悪童たちは、25セントでも大したものだと思って、水曜にまた悪態をつきました。 声が聞こえると、すぐに老人は、25セントをもって出てきて、悪童たちに支払いました。

「これからは」と彼は言いました。「1セントずつしかあげられないよ。」

悪童たちは、信じられないといった様子で顔を見合わせて、「1セントだって?」と、バカにしたように口々に言いました。

「もういいよ!」

こうして、悪童たちは、二度と来なくなりました。

この老人は、外発的報酬が内発的モティベーションを阻害するという仕組みをうまく利用していますね。

元々、子どもたちは老人に対して悪態をつくことを楽しんでいました。子どもたちにとって「老人に対して悪態をつく」という行動は、別にご褒美をもらわなくても、楽しく没頭できる事象です。つまり、子どもたちの内発的モティベーションがそのような行動を取らせていたのです。

しかし、老人が子どもたちにお金を与えたことにより、「悪態をつく」という事象が、「楽しくてやっている」から「お金のためにやっている」という認知に変わってしまったのです。最後には、外発的報酬を得られなくなった子どもたちは老人のところに二度と来なくなってしまったのです。

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外発的動機づけのマイナス面(6)  ~ 使い出したら止められない ~

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(6)報酬は、使い出したら簡単に止められない(Once you have begun to use rewards to control people, you cannot easily go back)

コーンの主張は、5つ目までですが、あわせてデシの2つの論点も見ていきます。

いったん、やってほしいことを相手にしてもらうために、報酬を使い出したら、相手の側に、それをするのは報酬のためだという期待が生まれてしまいます。

行動は金銭を得る手段、用具だという認識ができてしまったら、同じ行動を期待するためには、報酬を与え続けるしかなくなります。

お手伝いでも、デートでも、試合でも、1回でもお小遣い、夕食、優勝旗などを使うと、どうなるでしょうか。

子どもは、手伝えば、またお駄賃がもらえると思い、彼女は、今度もおいしいフランス料理をと期待するかもしれないし、スポーツイベントも、旗やカップを手にしてしまうと、少なくともそういうのがある試合に、より惹かれてしまいます。

よほど、お母さんが「今回だけよ」と、彼が「ボーナスが出たので、今夜だけ」とか言わないかぎり、それより後は、子どもも彼女も、小遣いや食事をちょっとは期待してしまうことになるでしょう。それを責めることはできません。

報酬を使った側は、いったん使い出した手を簡単に止められなくなります。

相手にも、不要だった報酬への期待を抱かせてしまったなら、純粋な手伝いの喜び、デートの楽しさに対して、よけいなことをしてしまったことになります。 ましてや、統制される側にも、報酬へのアディクション(中毒)を導いてしまったら、本当によくない。

デシは、オットセイの芸も、エサがなくなると幕となるように、人間だって、同じことになってしまうと警告します。

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外発的動機づけのマイナス面(7)  ~ 手抜きを選ばせる ~

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(7)報酬はそれを得るための手抜き(最短ルート)を選ばせる(Once people are orientend towards rewards, they will be too likely take the shortest or quickest path to get them)

人がいったん報酬への関心で行動をするようになると、行動そのものも、報酬をもたらしてくれる最短ルート(往々にして手抜きのやり方)を選ぶようになります。

デシは、自分が子どものとき、クックという名の先生に学びました。

クック先生は、読書を奨励するために、教室に本棚をおいて、そこから借りる手順を教えました。 読書を励ましてくれたのはよいことです。しかし、「1年でもっとも多くの本を読んだ子に、褒美をあげる」というインセンティブが、それを台無しにしてしまいました。

結局、本をじっくり読まずに読み飛ばす、果ては、読んでいるのかどうかわからないが、とにかくたくさん借りた子どもが、褒美を得てしまいました。

これが最短ルートの例です。

このことに気づいたデシは、次々と本を借り出すサインをすることに精を出しました。 学年の終わりに、ご褒美のクレヨンをもらいましたが、借りるだけでなく、ほんとうに心をこめて読んだかもしれない本のことを思うと、残念だ とデシはいいます。

  • 読んでいたら感じたかもしれない感動発見を失ってしまった
  • ただとにかく借りるという報酬への最短ルートに、行動がはまってしまった
  • そのために、子どものときの純粋な読書の喜び、楽しみのいくつかを逃したかもしれない

革新や創造のためには、しばしば最短ではない遊びのりしろ、いい意味での脱線寄り道が必要です。 効率とスピードだけが問われると、リスクを伴う工夫への時間や余裕がなくなってしまいます。

目的までの最短ルートを選ぶことは、それがふさわしい状況では、わるいことではありません。 ただ、もっとも手っ取り早いルートを選ぶ理由が、報酬を得るためだけになっていたら、その選択は、自律的とはいえません。

報酬に統制されている。

コーン流によると、報酬に罰せられているようでもあります。

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内発的モティベーションのすすめ(1)  ~ 達成感とフロー経験 ~

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内発的モティベーションの代表的研究には、達成感、フロー経験(楽しみ)、有能感、自己決定(自律)、自己実現、成長感などがあります。

これらには共通の特徴があります。

いずれの説も、ほかの人を介して「外からもらう報酬」ではなく、うまくいったことや自分で決めたことに勤しむこと自体が、「内側から生じる報酬」となっています。

  • 自分らしさにかかわることからの納得感
  • 自分の潜在力を生かしきっていると思える喜び
  • 一生懸命にやっていることが、自分の成長にかかわっているという感覚
  • がんばることで、一皮むけつつあるという実感

お金や昇進、昇給、ほかの人からの承認とは、また一味違う、内面から生まれるご褒美になっています。

これらを少しずつ見ていくことにしましょう。


達成感(feeling of achivement)は、いかに途中がたいへんでも、うまく成し遂げることができたというポジティブな感覚です。 デイビッド・C・マクレランド(David C. McClelland)がこれに注目しました。

フロー経験(flow expenrience)は、「なにか熱中没頭して、流れるかのごとく自然に、楽しく時間がすぎるが、その行為をコントロールしているのは、すべて自分自身である」という絶妙な感覚です。

ミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi)によって提唱された概念ですが、今ではフローは、「よい趣味」だけでなく、「よい仕事」「よい創造性」「よいリーダーシップ」「よい社会」を特徴づける条件であると、彼は考えています。

開発の成果・結果ではなく、開発のプロセスそのもので、われを忘れるほど没頭しているような経験が、仕事の世界でのフローの例です。 仕事以外の世界では、将棋に熱中する棋士、プレー中のサッカー選手、ステージの熱狂で即興演奏に興じるギタリストなどが思い浮かぶかもしれませんね。

仕事の世界でも、開発の現場だけでなく、手術室の外科医、接客そのものが楽しめるもてなしの達人、筋書きどおりに仕事が進む営業職の人などが、フロー経験を語っています。レジのチェッカーのような単純な仕事でも、忘我の境地に入ることがあるそうです。

フローを経験する多くの人は、コンサート、ヨット、テニス、チェスなど、仕事以外の楽しみだったりします。 それでも、趣味や余暇での楽しみが、仕事の場では、まったく起こらないなどと断言する必要はありません。

マクレガーY理論で述べた中に、以下のような考えを示しています。

仕事に体力、知力を使うのは、遊びや休みのときと同じくらい、自然なことだ。

平均的な人間は、生まれつき仕事が嫌いなわけではない。

統制可能な条件しだいで、仕事は満足の素になるかもしれない。

(その場合には、自発的になされるであろう)

これは、仕事の中でもフロー経験が生み出せるという考えに、とても近いものがあります。

内発的モティベーションのすすめ(2)  ~ 有能感と自己決定、成長感 ~

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有能感(feeling of competence)の「有能」という言葉には、「こんなに勉強できる、こんなに才能がある」というような、イヤな響きがつきまといます。

しかし、ロバート・W・ホワイト(Robert W. White)が、最初にこの概念を提唱したときは、もっと素直で崇高なものでした。

そもそも有機体が、環境の中で、よりよく生きていくためには、自分がおかれた環境を探査して、そこでうまくやっていくこと が不可欠です。 有能感は、「よくできる」だけでなく、「環境との相互作用の中で、よりうまく生きられる」ことにかかわっています。

同じ英語ができるといっても、TOEICのスコアだけなら、スキルとしての語学力を示すだけです。しかし、グローバルに活躍したいと思う人が、語学を駆使して、よりその人らしくうまく生きることができるなら、それが有能感ということになります。

今や一般的になったコンピテンシーがこの延長上の言葉にありますが、ホワイトは、有能感という言葉を、こんなにいい感じで用いていました。

有能感自己決定(self-determination)は、内発的動機づけのもっとも有力な論者として君臨するエドワード・L・デシ(Edward L. Deci)が注目してきました。

私たちは、外から、ほかの人からいただく報酬のためではなく、内から湧き出るものゆえに、がんばる場面があると思います。

誰よりもうまくマスターできていること。 自分でそれをやりたいと決めてやっていることなら、人は、外発的報酬がなくても、がんばれるでしょう。

たとえば、テニスがすごくうまくできる人、親や先輩に言われてでなく、自分でテニスをやると決めて打ち込んでいる人は、内発的に動いています。

自己決定とは、チェスや将棋のたとえで、別の言い方をすれば、「駒になるよりは、指し手になる」ということです。

このたとえを使ったリチャード・ドゥシャーム(Richard De Charms)は、自己決定のことを、自己原因性(personal causation)とよびました。

成長感は、成長欲求(need for growth)を満たすものです。

古くは、フレデリック・ハーズバーグ(Frederick Herzberg)が、「例外的によかったと思えるほど、稀な仕事経験」を特徴づけるキーワードの1つとして、提示しました。

そのあと、アブラハム・H・マズロー欲求階層説を検証したクレイトン・P・オルダーファー(Clayton P. Alderfer)、仕事や職務の特性そのものがもつの動機づけ効果に注目したJ・リチャード・パックマン(J. Richard Hackman)が、経営学に定着させました。

成長感は、仕事を通じて一皮むける感覚であると、金井先生は表現しています。

この感覚は、数十分、数時間でも得られる達成感よりは、息の長い概念です。 数ヶ月から数年の経験を通じて、自分が成長したと感じられる感覚までも含みます。

そして、このような経験は、モティベーションとキャリアを結びつける懸け橋になる有益な概念です。

アンダーマイニング現象の意味(1)  ~ デシの実験 ~

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1970年代前半に、当時30代だった若い2人の心理学ロチェスター大学エドワード・L・デシ(Edward L. Deci)とスタンフォード大学マーク・R・レッパー(Mark R. Lepper)が、独立に、しかし相互に関連した有名な実験をおこなっています。


まず、デシですが、彼は「ソマ」というパズルを使って、3つのセッションからなる実験をおこないました。

ソマは、テトリスのブロックのような7種類のブロックを組み合わせて、飛行機、犬などの立体モデルを作ったりするパズルです。

3つのセッションは、2つのグループに対して、次のように進められました。

  • 2つのグループ全員が課題を4つ与えられ、ふつうに(特別な条件はなく)ソマ・パズルに従事する。
  • 同じく4課題が与えられるが、グループ①の被験者は、1つ課題が解けるたびに、1ドルの外発的報酬が与えられると告げる。一方、グループ②では、そのような報酬を与えるという話はしない。
  • セッションⅡで、課題が解けるたびに金銭が支払われたグループ①の被験者に、予算の関係で、このセッションでは金銭はもう支払われないと告げる。グループ②では、3つのセッションを通じて報酬という話などなく、ソマに従事してもらっている。

このセッションⅢでは、セッションの予定時間が終わる前に、実験者(実験をしている側)は、用事があるという口実で、その場を8分間だけ、出ていくことになっていました。

そのときに被験者には、退室しなければ、なにをやってもいいと指示されます。 実験室には、雑誌や新聞など備えてあるので、それらを読むこともできます。

実は、この8分間に、一方視窓(マジックミラー)を通じて、ソマ・パズルを解いていた時間が計測されていました。 そして、この3セッションを通じて、ソマ・パズルに従事した時間(つまり、内発的モティベーションの強さ)の変化が、グループ①と②で比較されました。

結果として、もとから楽しいはずのソマ・パズルに、金銭的報酬が与えられたグループ①では、ソマに打ち込む時間が短くなっていました。

このことから、デシは、内発的に意欲がもてる課題に、外発的報酬をつけてしまうと、好きだからやっているという気持ちを阻害することを強調しました。

このときに起きたことは、アンダーマイニング現象として、よく知られるようになります。(アンダーマインというのは、足下から掘り崩す といった意味です)

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アンダーマイニング現象の意味(2)  ~ レッパーの実験 ~

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他方で、レッパーも、同じような現象に対して、警告しました。

1964年から、アメリカでヘッドスタート計画(Project Head Start)という連邦政府の教育福祉事業がありました。 それは、文化的に恵まれない子どもたちの教育を支援すること をめざした計画でした。

そのためによくおこなわれたことは、生徒たちに学習につながるゲームをしてもらうために、教師が賞を出すことでした。

ただし、賞がもらえなくなると、子どもたちは、楽しく仕組んだはずの学習ゲームに、見向きもしなくなります。 賞など出さない学校では、子どもたちは、嬉々として、学習ゲームに取り組んでいました。

どのようなゲームをするのがいいか、自己決定した子どもたちは、選んだものを熱心に続たのでした。

レッパーは、保育園児を被験者とする実験で、3つのグループ(Ⅰ~Ⅲ)の比較をしました。

  • 事前に、マジックを使ってお絵描きをしたら、賞状をあげると伝えて、絵を描いたら賞状を渡す。
  • 事前に賞状があることをいわず、お絵描きをしてもらって、絵を描き終えたら、賞状を授与する。
  • なにも言わず、お絵描きをしてもらって、絵を描き終えても、ご褒美などを渡さない。

実験前は、「マジックで絵を描くのはおもしろい」と言っていた保育園児が、1週間後に観察すると、グループⅡとⅢの子どもたちは、なんら変わらずに、褒美のためでなく、お絵描きを楽しめていました。 それに対して、グループⅠでは、内発的にお絵描きをする保育園児の数が、減退してしまいました。

デシの実験では、セッションは連続しておこなわれて、1時間内のできごとになります。 他方、レッパーの実験では、幼い子どもの場合であっても、もっと長い1週間という期間が過ぎても、もともと おもしろい課題に、外発的報酬を与えることのマイナス効果が持続していました。

この2つの研究がきっかけになって、アンダーマイニング現象は、多数の実験と、いくつかの理論的解釈とともに、論争を生み出しました。

しかし、これを極端に解釈してはいけません

つまり、それ自体が楽しいこと、おもしろいことに、いっさいご褒美をあげてはいけないというわけではないということです。

もし、そんなことがまかりとおったら、職場で次のような会話が蔓延してしまうでしょう。 短絡的に解釈して、「おもしろいことにはご褒美をあげるな」というように、アンダーマイニング現象を理解するのは、曲解だということに気づくと思います。

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アンダーマイニング現象の曲解  ~ おもしろいことへの上司の反応 ~

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おもしろいことには、ご褒美をあげない上司

上司 「最近どうだ。開発の仕事うまくいっているか?」

部下 「ずっと苦労してきましたが、さきが見えてきました。」

上司 「1ヶ月前は、落ち込んでいたけど、・・・」

部下 「あれは、実験がうまくいかないので、がっくりきていたのに、励ましの声がなかったからです。 落ち込んでいたのではなく、実験が連続して失敗で、お先真っ暗だったんです。」

上司 「独力でやるのがいいと思って、助けなかったからな。それでもがんばった結果、やっと光明が見えはじめたというわけだね。」

部下 「いやぁ、こうなると、ほんとうに実験そのものがワクワクするほど楽しくなってきました。」

上司 「今、なんて言った? 実験していること自体が楽しくなった、と!」

部下 「そうです。」

上司 「それなら、お金などの報酬をあげると、その楽しみを足下からすくう(アンダーマイン)ことになるので、もう、今月は給料なしだね。」

部下 「やっていることが楽しいなら、報酬はいらないでしょうなんて、それはないでしょう!」

アンダーマイニング現象をこのように誤解してしまうと、やる気をほんとうに殺いでしまいます。


おもしろいことでも、激励やフィードバック、達成や有能の承認として報酬などのご褒美をあげる上司

上司 「最近どうだ。開発の仕事うまくいっているか?」

部下 「ずっと苦労してきましたが、さきが見えてきました。」

上司 「1ヶ月前は、落ち込んでいたけど、一緒に話し合えてよかった。」

部下 「あれは、実験がうまくいかないので、がっくりきていたところ、ちょうど議論の中で相談に乗ってもらいながら、 ”できるぞ”というヒントと、励ましの声をもらえたので、ほんとうによかったです。 だから、後半は、うまくいかなくても、ただ落ち込んでいたのではなく、いい結果が簡単に出ないからこそ、 いっそう一生懸命実験やっていましたよ。」

上司 「任せたといっても、重要なところでは相談を聞いて、フィードバックするのが研究リーダーの役目だからな。 それでも、君ががんばった結果、やっと光明が見えはじめたというわけだね。」

部下 「いやぁ、ほんとうに実験そのものがワクワクするほど楽しくなってきました。」

上司 「楽しみになるとしめたものだ。実験していること自体が楽しくなってきたんだね。」

部下 「そうです。」

上司 「その上で、この研究で君ががんばった証に、社長表彰に推薦して、また、昇給があると思うけれど、 それも達成の承認の証しだと思って、継続していい開発成果をあげてほしいよ。」

部下 「(没頭できるぐらい)楽しくなった仕事で、(自分で決めたことで自分でしかできないような)成果をあげた証しを もらえるなら、ますますがんばる気になります!」


もともと おもしろい仕事に、外発的報酬が与えられても、(報酬で人を操るという)コントロールの側面が希薄なら、有害ではありません外発的報酬には、有能感を授けるフィードバックという意味もあります。

このように、報酬がもたらす情報的側面が、コントロールの側面よりも目立つ場合には、外発的報酬アンダーマイニング現象は、大幅に緩和されます。

むしろ、報酬におぼれずに、達成の承認、有能感の確認、自己決定の機会とセットになっていれば、外発的報酬プラスフィードバックとして、活用することさえできるのです。

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アンダーマイニング現象の再考
  ~ おもしろいことにはご褒美をあげるな、ということではない ~

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コーンのような、有益だが、やや極端な議論や、ほかの論者によるアンダーマイニング現象について、理解が浅いまま、成果主義などの批判に使うことは、本筋ではありません。

このことについて、もう一歩理解を深めるために、いくつかコメントをします。


(1)あえて極論にしている と捉える

コーンの議論は、あえて極端になっています。 これを真に受けると、よくがんばった生徒、選手、部下に、先生、コーチ、マネジャーは、褒めることさえ、ほんとうにできなくなってしまいます。

外発的報酬については、以下の2面をしっかり認識しないといけません。

  • 人をコントロール下におきたいために、用いられる面がある
  • 外から動機づけることだけが主眼になると、よくない

たとえば、「あれをすれば、これをあげる」と言うだけで、親が娘や息子に、先生が生徒に、コーチや監督が選手に、また、職場では管理職が部下に、接していたら、ちょっとコントロール主眼かもしれません。

「そういう面もあるかな」と気づいてもらうのに、アンダーマイニング現象という考え方は、役立ちます。

ご褒美などの外発的動機づけは、わかりやすいけれど、お小遣いだけで動く子どもには、したくないでしょう。 つまり、エサで釣るだけではダメなのではないかと、ときに反省するのに、いい材料なのです。

とくに、もともと楽しんでいることに、ご褒美を与えることが濫用されると、楽しいからやっていたはずのことを、やっている理由が「褒美のため」というように、心の中で変わってしまうことに、注意しないといけません。(この理論的解釈を、デシは、認知的評価理論(cognitive evaluation theory)とよびました)

そのような物質主義的な風潮に強く警告したいと思って、問題の書を書いているので、コーンはあえて極論しているのだ、と思った方がよいでしょう。


(2)極度にコントロール主眼でなければ、正しい報酬制度ともいえる

子どもが模型をつくる、学生がパズルを楽しむ、大人がゴルフをするとき、うまくいくたびに賞金やトロフィーばかりあげていると、もとは楽しくてやっていたことの認知がうすれてしまいます。

お金のため、褒めてもらうため、応接間に飾るトロフィーをもう1個増やすため、というようになってしまったら、困りものです。

しかし、会社などの生計を得るための組織での議論となると、少し違ってきます。 「今回の開発プロジェクトはチャレンジングでおもしろかった」と言ったエンジニアに、前述のような「楽しい仕事だったのなら、給料はいらんだろう」とは言えないでしょう。

また、よりがんばった人に、ご褒美がより多く授けられることは、最初にふれた強化理論の立場からは、正しい報酬制度になります。

ただし、ご褒美がコーンのいうように行動のコントロール、あるいはと同じように使われてしまうような、極度に人間操縦的な状況でないかぎり という条件を忘れてはいけません。


(3)きちんとフィードバックされるのならば、報酬のマイナス面は少ない

アンダーマイニング現象の提唱者であるデシライアン自身が、次のような解釈をしています。

外発的報酬であっても、がんばった分だけ手に入る報酬で、自分の有能さを示し、また、ほかの誰かに操られているのでなく、自分で決めてやっている場合には、働く人が”自分の働きぶり”を自己調整(self regulation)できる。

有能性、自律性や自己決定に基づいたフィードバックとして、ご褒美(口頭で励ましたり、褒めることも含む)が与えられるのであれば、さほど報酬のマイナス面を問題にすべきでないと主張しています。

認知的評価理論では、内発的に意欲のわく活動に、外発的報酬が与えられるときの、報酬の統制的側面(controlling aspect)と情報的側面(information aspect)は、区別されています。

アンダーマイニング効果というマイナス面が報酬に生じるのは、前者(コントロールしようとする側面)の場合に限定されます。

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デシの認知的評価理論  ~ 3つのポイント ~

前述(3)の認知的評価理論について、デシは、ポイントを3つの基本命題にまとめられています。

第Ⅰの命題だけが、引用されることが多いのですが、第Ⅱ、第Ⅲの命題も、とても重要です。

  • 内発的動機づけが影響をこうむりうる1つの過程は、認知された因果律の所在が、内部から外部へと変化することである。 これは、内発的動機づけの低下をもたらすであろう。
    そのようなことが生じるのは、一定の環境下においてであり、内発的に動機づけられた活動に従事するのに、人が外的報酬を受け取るような場合である。
  • 内発的動機づけが変化をこうむりうる第2の過程は、有能さ自己決定感情における変化である。
    もし、ある人の有能さ自己決定に関する感情が高められるようであれば、彼の内発的動機づけは増大するであろう。
    もし、有能さ自己決定に関する彼の感情が低減すれば、彼の内発的動機づけも低下するであろう。
  • すべての報酬(フィードバックを含む)は、2つの側面を有している。 すなわち制御的側面と、報酬の受け手に対して彼の有能さ自己決定に関する情報を与えるところの情報的側面とがそれである。
    この2つの側面の相対的な顕現性が、いずれのプロセスで働くかをきめる。
    もし、制御的側面がより顕現的であれば、それは、認知された因果律の所在のプロセスに変化を始発するであろう。
    他方、情報的側面の方が比較的に顕現的であれば、有能さ自己決定過程の感情に変化が生じるであろう。

デシの書き方は(翻訳の日本語のせいもあって)わかりにくいですが、ポイントは以下となります。

は、パズルが楽しい学生、模型が好きな少年、老人をからかういたずらっ子に、パズル解き、模型の組み立て、からかうという行為に、お金をあげるようになると、学生も少年もいたずらっ子も、自分がそれに従事しているのは、お金のせいだ、というように認知を変えてしまうことをいいます。

たとえば、とてもイヤな仕事をさせられていても、たくさん報酬をもらっていたら、納得はいっているけど、「退屈な仕事だった」と言ったりします。

逆に、すごく退屈で、すごくヒドい仕事なのに、まったく報酬がなかったら(こういう状態のことを、正当化が不十分な条件(insufficient justification)とよびます)、無理してでも、「けっこうおもしろかった」と、やせがまんを言いはったりもします。

は、デシのその後の関心が、内発的動機づけそのものから、有能さと自己決定の方に向かっていくことを、予期させるものです。

デシは、人がご褒美のためにでなく、やっていることそれ自体に内発的に動機づけられるのは、それがとてもうまくできること、また、自分で選んだことをできているときだと主張しました。

そして、この2つのうち、後者の自己決定を、有能さよりも(紙一重だけ)重視しました。

は、うまくできることでも、人からやらされている場合、逆に、まだそれほどうまくはできないけれども、自分でこの道と決めたことに打ち込んでいる場合、どちらがより内発的な発露が強いと思われるか ということになります。

有能感自己決定が、内発的意欲を左右する2大要因であるなら、外発的報酬を与えることそのものが悪なのではなくて、その報酬が有能さの感覚と自己決定感を阻害したときにのみ、アンダーマイニング現象が起こるということになります。

この2大要因にマイナスの影響を与えなかったら、外発的な報酬が与えられたとしても、内発的な意欲は阻害されません。 それどころか、金銭的報酬や褒め言葉などのフィードバックなども、有能さ自己決定を高めるなら、実は、内発的なやる気を高めることになるのです。

そのようなハッピーな状態が起こる条件として、外発的報酬とフィードバックの情報的側面を、有害な人を仕切りたがるという操縦的・制御的側面から区別したのが、命題Ⅲになります。


やたら引用頻度の高いデシの研究ですが、Ⅰ以外の2つ(ⅡとⅢ)の側面にも、しっかりご注目をしていくことが大切です。

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